スワロフスキーは輝く 〜かつてのJ感想〜

 

2022.8.24 19:00 池袋ポップアップ劇場

作・演出・すべての役・音楽・映像・小道具・制作 神保治暉

「かつてのJ」

 

NEWS LIVE TOUR 2020 STORYの完結とともに場を変え、名を変え、神保治暉となったはるきくんのALL一人演劇。

 

J。ジャニーズ。自営業。自衛の日々。

 

「皆さん、これは演劇ですよ?ファンタジーです。」

という台詞で始まる、とてもとてもノンフィクションに近い距離にある台本。

かつてのJの制作にあたり、はるきくんは全て、そう全てを自分一人でつくることに決めて動き出した。稽古場を一般開放し、演劇したい人たちや私のようなファンまで、誰のことも拒まず他人を存在させ、関係ある話から関係ない話までただ【話をし】続けていた。

今回は新しい試み。他人はそこにいたけれど、話はしたけれど、彼は助けは求めてこなかったから。要は「聴いた話の責任も含めて自分でとる。自分でやる。」という全部自分で、なのだ。

この台本は間違いなく稽古場から生まれたもの。帝国劇場の建築ってどうなってるんだろう〜とか、奈落から見た景色、とか私の参加した稽古で話題になったものまで点在されている。単純に自分の発言に意味が付与されていてちょっとこわい。自分の発言の重みは自分で反省したい。笑

 

圧倒的ドキュメンタリー。

そして私はあえてこの舞台を計画的フィクションと呼びたい。

「僕と僕たちの歴史」と形容されたWがJになり、Jで居て行く、この20分で演出された脚本に私は異議があるから。

どんなにこの脚本にリアリティが有ろうと、「そうはさせねーよ!?」の気持ちである。笑

 

というわけで私が、神保治暉となった彼を見てきて、かつてのJを観た感想。ごく浅いポッと出の新規ファンが私の視点で客席で想ったことを【私の責任で】書き残そうと思う。

 

まず全体的にジャニーズと切り離せない構成で場面がつくられている。序盤の早着替えや“偉大なるJ”とされるまぁジャニーさんが要所で出現するところなど。時間軸は少年時代の渡辺〜神保の今までとこれからだ。

上手いなと思ったのはコンテナとベニヤ板1枚で奈落の底から湧き上がる声を表現したこと…ジャニオタなら見える、会場のアリーナに立つ自分の頭くらいの高さを地面と設定されたステージの、その下で動き回る演者とスタッフさんが透視的に見えるし、知っているのだ、そこにいることを。

そういう“前提”を事前知識として刷り込まれてるか否か、この部分はだいぶ閉じた演出だったと思う。だからはるきくんは「僕のフォロワーさんに座って欲しい」って言ったのかもしれない。ジャニオタ来ていいよ、って。

 

1場 テレビ。

さて、すべての役、と表記があったように映像で差し込まれる“誰か”もはるきくんがやっている。ジャニーさん訃報のニュース読むキャスター2名、「偉大なるJが肉体を捨て、エターナル界へ次元移動しました」の台詞は笑った。笑

狙ってやっただろうけど、某ロングラン階段落ち舞台が今年はeternalの題をつけて上演していたというのに。笑 そして「テレビ的にアウトだと思うので〜」の件は今猛烈にポップなものに惹かれていて、ギャップを手の内に試行錯誤しているはるきくんだから出てくる台詞だなと。ウルフに伸ばした髪型が女性キャスターにぴったりなのもじわる。笑

 

2場 男子トイレ。

窓から東京タワーが見えるトイレは、渋谷のレッスン場だろうか。

ここでJr.仲間がトランプで名を持つが、A・K・Q…エース・キング・クイーン、そして絵踏を提案されるのはWより格下のX(テン)。トランプゲーム的なカードの強さとアルファベット順の意味付けが巧み。踏まれたXはスペード。冒頭の名乗りでJが名刺のように見せたトランプも、スペードのジャックだった。

ちょっとGoogle先生に訊いたら、スペードは剣を表すものだった。

 

3場 自営業。

「J業を辞めて自営業か…You、トンチが効いてるね」

青年となり劇団グングニルを立ち上げたJ。このあたりはまるで令和元年〜令和4年現在のノンフィクションと混在しがちになる。だってはるきくんも「演劇したい」ってずっと言ってるんだもん…!

ショービジネスを軌道に乗せるには、とジャニーさんが「ハヤリ」と「ムリヤリ」を授ける。

北欧神話最高神オーディンの武器の投槍=ナゲヤリな作風の劇団グングニル。あらゆるヤリを武器にしていく。ここは色濃い伏線。

「ナゲヤリがニヤリに変わる」あたりでJの在り方考え方も変わっていく。Jが降らせた槍の雨は、焼夷弾と同じSEが使われていた。

 

4場 稽古場。

大好きなシーン。笑

劇団員くんのウッシーとモッシー!この子たちははるきくんがずーっと一緒にいる子たちで、経年のくたびれが生む場面の脱力感がたまらない。

劇団員くんがJに投げかける日常会話に「それ意味ある?そんな時間あったら稽古しなよ」とか「そんなんじゃ役者として使ってもらえないよ、やる気ないなら辞めていいよ」とパワハラ発言をするJ。

 

余談だけど、芸能界や演劇界でもパワハラセクハラ…権力的に上から下への抑圧や侵害的なコントロールが問題とされている。ことを組み込みたかったのだと思うけど、ハラスメントを取り締まり、権力格下を守ったとして、やることやってない人にやることをやれ、と言えなくなるのって厳しいなと思ってしまうのは私だけなのかな。人権は守られるものというより在るもので、侵害するのは論外だけど一生懸命せっせと守るものなんだろうか。すごく難しい。この辺はケアする/ケアされる系の話題にも通ずるけど、人間って「誰かなんとかしてくれ」的な欲求は普遍的に持ってるし、してもらいたい気持ち・してもらったことを理解してどこかで還元していかないことにはしてもらいっぱなしってどうなの…?と思ってしまう私なので…。パッケージ的にわかりやすくパワハラ場面を演出したのだと頭でわかりつつ、それでいいんか、と考え続けているところである。

 

話が脱線したが、劇団員ウッシーモッシーなめこ集団のぬるーく慰め合う声がめちゃくちゃかわいい。クソでか声で私は悲鳴を上げてる←

 

ここで少年時代のW(映像)がJへ語りかける。いや素材提供募ってた中に少年年齢のはるきくんの写真もあったけど再現度が素晴らしすぎて。笑 そりゃそうだよなぁ大きくなっても彼は彼なんだもんなぁ。笑

 

「周りが見えなくなったら終わりだよ」と「自分の身は自分で守るべきだろ」

「なんで?花でも咲くの?」と「あぁ、きっと大輪の」

「悪気はなくとも、悪着を着ちゃってる」と「濡れ衣だ!いつのまにか着させられてた」

少年と青年の対比が、正論であれた子供と誤魔化しながら暮らしを成り立たせていくしかない大人の対比が、痛い。変わってしまったのは誰かのせいだと言いたくても、他でもない自分の選択の積み重ねだ。ぐうの音も出ない。

 

5場 劇場。

SMGO…ジャニオタなら解読できる。ショー・マスト・ゴー・オン。

ショーは待ってくれない。今しかできないことを。明日はない。幕を開けろ。そのために尽力しろ。

かつてのJを見て、SMGOの言葉は演者のこともオタクのことも縛りつけていたのかもしれないな、と思った。これはあくまで憶測で虚像な可能性論だ。

刹那的でアドレナリンがどばどば出るような夢のある素敵な言葉だ。その代わり、刹那は刹那だ。後の始末はこの言葉には含まれない。

私はずっとオタク目線でこの刹那を、刹那でいいから、一粒が輝く瞬間を網膜に焼き付けていたいと懇願してきたが、明日がないのは私もきみも同じだったのかもしれないね。人間、である以上仕方ないかな、いつか寿命という幕閉じがあるもんね。

 

そしてJはパンツ一丁で街頭演説をする。コンテナにベニヤ板1枚を引いて。

演説の内容のどこまでがフィクションだろう。とてもとてもノンフィクションに近い距離の台詞だ。

嘘はひとつもなくて、とはいえこれが全てだと思わないでほしい。

もう一度言う。

 

かつてのJで発された言葉が全てだと思わないでほしい。

 

初めてはるきくんの演劇を見てくれた人も、Wの頃を知っていて久しぶりに声を聞いてくれた人も、そして例外なく私も

これが神保治暉ひいては渡辺大輝の全てではないと、肝に銘じろ。

 

計画的フィクションだ。

いろんなことを本気で考えてニコニコすることをやめた彼が身を削って生み出した演劇である。

実像の彼のことは、彼しか知らない。

 

街頭演説中にJは何者かに槍で刺される。モチーフはロンギヌスの槍だ。キリスト教における殉教者でイエスの脇腹を刺したとされるロンギヌス。稽古場で日本の宗教観は無宗教というより多宗教だよな、みたいな話もしたなそういや…。

Jはイエスのように、かつてレッスン場で一緒だったXに刺される。スペードのXだった彼に、だ。Xは、Wを出し抜いてユニットに入ったはずだったのに。劇団ロンギヌスのトップとなったX、とあるようにJと同じ演劇界に身を置いていることから、デビュー組にはなれなかったと推測される。Xは何を思った?Jの振る舞いをどう見ていた?レッスン場でのXいじめに参加しなかった少年Wを、大人になったJを、仲間だと思ったのか。敵だと思ったのか。

 

「奈落から這い出した子供のために、偶像として祀ろう」の言葉のギャップも皮肉だよなぁ。アイドル(偶像)をやめたのに、シンボル(偶像)であることを選ぶのか。

金を叩いて演者を見、好き放題に感想を言って冷めれば去っていく客席に未来を見出してくれるのか。

 

また余談だが、はるきくんは終演後、自身のTwitterで「僕の作品を見に来てくれた人の座る席にまつわる責任はすべて僕が負うので安心してほしい」と言った。

はい、意義あり。

客席の責任は客席で取るよ、はるきくん。私の責任は私が取る。それは分断でも拒否でもなく、いや、拒否ではあるかもしれない。「配慮という皮を被った行き過ぎた心配・配慮で干渉してこないでください」という意味では拒否だ。しかしこれは同時に「あなたの予測しない反応として様々な感想や行動をこちらはするが、線引きをして糧になりそうな部分だけ選りすぐって利用してもらって構わない」という覚悟・委ねでもある。

 

良いように解釈してくれ。

私たちもそうしてるから。

正解は実像が握っていると自戒して、自分の解釈が正しいだなんて思いあがったりしないから。

そういう信頼でも愛と呼んでいいかな。

「かってにしろ」と言っておくれよ。

 

 

最後に衣装について言及したい。

開演前、大変邪魔ながらも最前列まで行って衣装の細かな部分まで見せてもらった。

1着目のレッスン着では白Tシャツとチノパン、緑のラインが入ったベルトをしていて、Jr.時代好きな色だと教えてくれた緑を意図したのかわからないけれど、勝手に愛おしかった。

2着目の黒スーツセットアップはジャケットの襟元とパンツのポケットの縁取りにスワロフスキーのようにキラキラがつけてあった。本編中では見えないポケットのキラキラが、見えることがない部分まで手を抜かない、そういうジャニーズJr.だった渡辺大輝を懐古させてくれて泣いた。笑

 

冒頭で奈落の少年を歌ってくれたマイクはぐるっと一周キラキラがついていて、街頭演説となってもキラキラしていて、皮肉で。

変わっていくし変わらないんだよ。だから絶対自信を持って、自信過剰なくらいに奈落時代を肯定してほしい。

3場が現実時間軸の2022年だと仮定するならば、今からの未来は客席から、何にもなれない私たちが変えてみせる。したくないことをしなくて済むように、刺されたり不本意なラストにならないように。言葉を尽くすよ。

 

顔面に貼り付けられたキラキラはあなたが頑張ってきた汗であり、愛を以て流した涙だ。

 

スワロフスキーは大きく輝く。