山下智久とTokyo Sinfonietta

 

 

 

2020年4月10日。私はこの曲の虜となった。

 

ザ・少年倶楽部でJr.SPが歌った「Tokyo Sinfonietta」

若い4人の美麗な顔立ちと10代だから出せる刹那な声。私は完全にバックJr.として一緒に踊っていた今村隼人くん目的で見たのだけれど、Jr.SP+無所4人の計8人で確立されていた“未完成な完成形”にみるみる惹き込まれたのだった。

 

ところでこの「Tokyo Sinfonietta」という曲、山下智久さんの歌らしい。後から知るほど山下さんのことは追わなくなってしまった(私は1年間だけ山下担をやっていた)。

2011年1月26日発売のアルバム「SUPERGOOD,SUPERBAD」の収録曲である。

 

2011年1月、ということは当時の私は「SUPERGOOD,SUPERBAD」の発売を知っているはずである。山下さんがまだNEWSにいた頃だ。

昔話を少ししたい。ただの懐古だ、古株ババアの寝言だと思ってほしい。我慢ならない方はシャーッとスクロールしてくれると助かる。

2009年からNEWS 6人での活動は急に減った。前年の2008年には年3枚も出すことの叶ったシングルCDも、2009年には春に「恋のABO」をリリースしたのみである。山下さんはその間「Loveless」から才能を伸ばし始め、錦戸くんは関ジャニ∞の怒涛のシングルCDリリース期を、テゴマスはアルバムを出しコンサートツアーを回り、それぞれが2009年-2010年を過ごしていたのだったね。

2010年秋「LIVE!LIVE!LIVE!」コンサートが開催されて、DVDの発売は同年冬だったと思う。コンサートDVDの販売まで異様に時間のかかるJEが2か月ちょっとで円盤化したんだった。今となればこの異常性に気づけるが、当時の私は純粋にNEWSの活動があるだけで嬉しかったのだ。そして2011年10月に山下さんと錦戸くんのグループ脱退。学校から帰宅してミヤネ屋つけて大号泣したことも今では笑い話にできるようになった私は2020年現在進行形でNEWSファンとしての道を引き続き歩み続けている。

 

話を本筋に戻すが、つまり私は「Tokyo Sinfonietta」が最初に歌われたとき、山下さんのことをNEWSのメンバーとして好きでいて、その後何年かを私の心の折り合いの問題で直視できずにいて、更に何年か経った今、再び惹かれているということである。

 

2011年、幼稚な私が脱退に泣いている間に山下さんは次のステージへと進んでいた。山下さんが哀しみの気持ちを抱えていたかは本人にしかわからないので加味せず話をするが、私が立ち止まっている間に山下さんは挑戦し続けていたのだ。いつの間にか海外に行っていつの間にか関東ローカル番組を持っていつの間にか、いつの間にか、いつの間にか、

 

余裕のある大人になっていた。

 

今の私はたまにインスタグラムを覗いたりする程度しか山下さんのことを知らないが、手早く料理をしてお洒落な朝食を完成させている姿なんかとてもいい。そして「Tokyo Sinfonietta」の動画をネットで検索する中で見つけた山下さんのライブパフォーマンスは息を飲むほどかっこよかった。レーザーを手で遮って音を出すやつ。

着飾らなくてもかっこいい、キャラクターになりきる必要もない、イメージに媚びることもない……そうだった「山下智久は人類のキセキ」だったもんね。

 

正直うらやましい。

「Tokyo Sinfonietta」めちゃくちゃかっこいい曲じゃん。オラオラ系キャラ演じなくていい、性的なアピールも必要ない、光・音・ダンス・歌での“パフォーマンス”、シンプルな魅せ方がとっても良い。

しかも菊池風磨くんとか、私が少クラで観たJr.SPがステージでやりたいって選んでくれるということ。

 

35歳という年齢に相応しく、大人じゃないか。

後輩が憧れたい先輩ではないか。

 

「Tokyo Sinfonietta」この曲を好きになったことでわかったことがある。きっと私は山下さんのことが好きだったままで、いろんな言い訳をこじつけて必死に傷を埋めたつもりで、そもそもそれは傷ではなかったのだろう。敵につけられた傷ではなく、自傷行為のようなものだったのだと。

もう、やめよう。

 

9年の間に大人になった山下さんと何者にもなれていない私。

 

不協和音は交響曲へと変わってゆけるだろうか。